自己満足で示すやさしさは、偽善。
相手のことを思って何かしてあげるのは、本当のやさしさ。
たとえば、野良ねこちゃんにごはんをあげるのだって、
気が向いた時にだけ、あげるのは、(ちょっときびしいけど)偽善。
雨が降ろうが、雪が降ろうが、いつもきまった時間にあげるのは、本当のやさしさ。
ほんのささいな違いだけど、自分の満足のために示すやさしさと
相手に何かしてあげたい一心から来るやさしさとでは 大きく違う。
一見同じように見えても よ~く見るとその違いは明らか。
相手を思いやる気持ちというのは、一面では示せないし
気まぐれでは続かないから。
思いやりを示すということは、本当はとても大変なことなのだと思います。
でもきっとそれをできる人は、大変だなんて思ってないし、
自己満足もしていない。
自分がすごいことをしているなんて、全く思ってないのだと思います。
ただ相手の人が喜んでくれること、笑顔になってくれることが
うれしいだけなのだと思います。
私もそんな人になりたい…
まだまだ未熟ものの私は、なかなかなれないけれど、そんな人になりたいです。
でもね。
偽善だっていいのです。
何もしないよりはずっとずっといいのです。
そこから本当のやさしさが始まることだってあるし。
最初は自分勝手な偽善だってかまわないのです。
行動することが大切なのですから。
お年寄りに席をゆずる…
道に迷っている人に声をかけて助けてあげる…
次の人のためにドアを押さえておいてあげる…
思いついた時にする親切だってかまわないのです。
それが最初の一歩になるのですから。
一番だめなのが、思っているだけ。
思いは、形にしないと伝わらないし、何も変わらない。
自分を変えたければ、
明日を変えたければ
まず 行動しなくてはだめなのです。
自己満足から本当のやさしさへ。
変わっていくことが大切なんですよね。